まとめ

記録として書いておこうと思っていましたが、1ヶ月ほど飛びました。その間に病状は進み、2011.9.21の夕方に父は永眠しました。
以下、メールしようと書いたけれど、送られるのも迷惑だと思ったので、ここに載せておきます。あと、友人に送ったメールなども全体状況分かるように混ぜました。


父の診断名はなかなか確定しませんでしたが(骨髄異形成症候群・白血病悪性リンパ腫)要するに血液のガンであり、大枠では悪性リンパ腫ということで治療を受けており、その病気のため死ぬことになりました。

1年前に半年ほど入院して抗癌治療(R-CHOP)を1クール(6コース)受けました。それが奏功し血液中にはほぼリンパ腫細胞を見つけられない状態にまで良くなりました。
でも70過ぎて寛解は難しいと聞いており、血液中に見つけられなくても骨髄や血管内に潜んでいる可能性が高く、やはり再発。再発後は遺伝子検査により悪性リンパ腫の中で特に悪性度の高い(増殖速度の速い)バーキットリンパ腫だろう、とのことでした。前回と同じ物は効果が出ないので違う種類の同じかちょっと弱い目の抗ガン剤を投与します。ということで治療は始まったのですが、1回投与後効果が確認できないので(その間にもどんどん弱っていました)道の選択を迫られました。
で、結論として抗ガン剤をストップし、退院して家に連れ帰り、最期を看取ることにしました。その際に今まで行ってなかった病気の現状と治療の手だてがないことを父に告知しなければならなかったのですが、案外冷静に話を聞いているように見えました。治るつもりでいてると思っていましたが、身体がままならなくなっていましたし、ある程度覚悟は出来ていたのだと思います。
そして、21日昼に連れ帰ったのですが、その日の夕方に事切れました。
葬儀の写真は6/18に撮ったもので、そこそこ元気そうに見えますし、7月の娘の保育所のイベントにはしんどいながらも歩いてきていたのですが…

病院から家に運び込んでしばらく二人だったので「ありがとう、長い間ありがとう。」そう言うことが出来ました。そして、亡くなるほんの30分ほど前のことですが、娘が書いたおじいちゃんご飯一杯食べて頑張ってという手紙を妻が読み聞かせました。そしたら、頑張るよと言うように手を挙げてガッツポーズをとったそうです。
その後少し熱が下がって、荒かった息が落ち着いたので「ちょっと寝や」と独りにさせている間に息が止まったそうです。

僕は迷った末に仕事に行くことにしたのですが、4時半頃「仕事に行ってくるで、がんばりや」と言ったらよっしゃと言うようにうなずいて手を出してきたので握手したのが最後でした。見舞いに行っても「有り難うもう帰りや、仕事優先」といつも言われ続けていたのでそれで良かったと思っています。

告別式も終え、斎場で焼け上がった骨を砕きながら骨壺に入れるとき、無事に父を送った実感がわきました(宗教的にはまだかも知れませんが)。
骨模型で見慣れた大腿骨も我が父の物だと思うと不思議な感慨が沸きます。悲しさはその時は無いのです。すっきり、というと語弊がありますが、すべてが終わったという気持ちの切り替えが私も家族も出来たように思いました。
葬儀は残された家族のためにあるんですね〜。