そこは違います

「がん」と「がんもどき」というキャッチフレーズで医療否定する近藤誠医師に対する反論本を出したということで、長尾和宏医師がインタビューを受けております。
「平穏死、尊厳死、自然死」について考えるために3冊の本を読んでみましたが 読書の初夏 - 喜多鍼灸院日誌 、そのうちの一冊が長尾医師の「平穏死10の条件」でした。この3冊の筆者の医師方も正当医療?の医師たちからはあまり相手にされてこなかったわけですが(少し気運の変化はあるでしょうけれど)、同じく相手にされない近藤医師に対して真っ向反論というわけです。近藤医師の名前は知っていても本は読んでなかったんで、お仲間じゃなかったのね?という感じもしましたが、インタビューを読むとなるほどでした。
m3というサイトもログインしないと読めないので、インタビュー3回分、どどーんと引用します。こんなん、いいのかしら、どうもすみません m(_ _)m 先に謝っておきます。

要点:「患者さんに正しい情報を繰り返し伝え、「近藤理論」には断固として反対しなければいけませんが、同時に「近藤誠現象」に対しては、素直に受け止めて、検証しなければいけない、というが私の意見です」現状の医療のあり方で良いわけでは無い。

『「医療否定本」に殺されないための48の真実』上梓のわけ - 長尾和宏・長尾クリニック院長に聞く
2013年11月19日(火) 聞き手・まとめ:橋本佳子(m3.com編集長)
 『「医療否定本」に殺されないための48の真実』(扶桑社)を今年7月に上梓した、長尾クリニック(兵庫県尼崎市)院長の長尾和宏氏。この11月の『週刊文春』には、長尾氏への取材記事、『近藤誠先生、あなたの“犠牲者”が出ています』も掲載された。反論の矛先は、言うまでなく、『医者に殺されないための47の真実』(アスコム)などで、「がんもどき理論」に基づく「がん放置療法」を唱える近藤誠氏。
 医療界では、この近藤理論に異議を唱えても、公の場に出る医師が少なく中、あえて批判覚悟で反論の矢面に立ったのはなぜか……。長尾氏にお聞きした。話は、長尾氏のライフワークである平穏死まで及んだ(2013年11月7日にインタビュー。計3回の連載)。
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長尾 和宏(ながお かずひろ)氏 長尾クリニック(兵庫県尼崎市)院長
1958年生まれ。1984年東京医科大学卒業、大阪大学第二内科に入局。1995年兵庫県尼崎市で開業。医療法人裕和会理事長、長尾クリニック院長。常勤医6人、非常勤医7人の体制で、常時約300人の在宅医療を展開。『「平穏死」10の条件』(ブックマン社)などの著書で知られる。


――『「医療否定本」に殺されないための48の真実』を書こうと思われたのは、いつ頃からでしょうか。
 僕自身、ずっと考えてはいたのです。これまでも反論を試みられた先生はおられますが、なかなか論破できないでいた。そうした時に、扶桑社から連絡があり、「誰も書く人がいない」と。全国のがんセンターの関係者などにも当たったようです。
 「長尾先生は、どう思いますか」と聞くので、「(近藤氏の理論は)極論に走っているので、犠牲者がたくさん出ていますよ」と答えたら、「それをそのまま本に書いてくれませんか」と。実は、原稿では最初、「ある人は」としていた。けれども、それでは分からないので、近藤先生の実名を入れた。他にも「医療否定本」を書かれている方はいますが、ターゲットを絞った方がいいと思ったからです。
――「犠牲者」とは。
 近藤先生は、「がんもどき理論」「がんは放置せよ、早期発見はしなくていい」などと主張している。しかし、ご自身で、「近藤誠がん研究所」を開き、セカンド・オピニオン外来をやっています。30分で3万円です。「抗がん剤治療は無意味だから、やめなさい。ホスピスに行きなさい」で3万円ですから凄い。この外来を受診し、そんなことを書かれた紙を持った患者さんが、当院を泣きながら訪れています。変ですよね。
 近藤理論を否定する本を書けば、返り血を浴びることは覚悟しています。やめようとも思いました。けれども、汚れ役を誰かがやらなければと考えた。売れなくてもよくて、まずは言論界に出せば、読む人は読む。中身を読んでいただけば分かりますが、医療者から見れば当たり前のことしか書いていない。でも、間違っていることは、患者に向かって、はっきり「間違っている」と言わないといけない時が来たと。
――当たり前のことを、当たり前に言っただけだと。
 そうです。偶然ですが、日本医事新報の最新号(2013年11月2日号)に、「『白い巨塔』の主人公、財前五郎のモデルとなったと言われる、神前五郎・大阪大学元教授が「がんもどき理論」を批判しています。神前先生は、『週刊朝日』で近藤先生と対談していました。近藤先生を支持する立場からは、「近藤先生を認めた、賛同した」といった声も聞かれ、十分に真意が伝わらなかったと考えたため、寄稿されたのでしょう。
 神前先生が、言っていることは僕と同じで、「がんもどき理論」は、後出しジャンケンと言っています。幾つかの点を挙げ、医学的にいかに間違っているかを非常に細かく考察され、最後に、「医学の進歩に伴う早期発見・早期治療のメリットを否定し、無理やり100年以上の昔に戻ろうとしている」「がん放置療法に対して、全国の医師たちは断固として拒否の立場を崩さず、間違った行為にくみしないでもらいたい」と結んでいます。
 神前先生は、94歳になられます。ご高齢の先生がこんなことを言わなければいけない状況は、どうなのでしょうか。近藤先生の極論は、最近は、がん医療にとどまらず、コレステロールとか血糖にも及んできた。なぜ関係学会は怒らないのか。だから、神崎先生は、「全国の医療者よ、立ち上がれ」と言ったのでしょう。
――「がんもどき」も、中にはありますがが、最初の診断の時点でその見分けが全て付くわけではない。
 はい。近藤先生は、「がんもどき」と「本物のがん」しかないと言っている。けれども、実際には、その間にたくさんの状態があり、進行し、状態が変化しているがんもある。そのいずれに当たるかは、診断の時点ではなかなか分からない。だから臨床の現場では苦労をしているわけです。
 しかし、一般の方だけでなく、メディアの方も、「がんもどき理論」を信じている人が多いようで、『「医療否定本」に殺されないための48の真実』を上梓した後も、「どこが間違いなのですか?」と毎日のように取材を受けます。がんもどき理論が医療界の常識だと思っている。「医療界では、誰も認めていない」と説明すると、「でも(近藤先生の)本は、100万部も売れているじゃないですか。世間で認められているからじゃないですか」と言う。 言うのは勇気が要るし、実際に返り血も浴びている。僕の人間性まで否定されることもある。それだけ、一般の方は“洗脳”されているわけです。覚悟はしていましたが、本を出して、そのことが改めて分かりました。
――そもそも「医療否定本」と言われる書籍は、何冊も出版されていますが、なぜここまで売れるとお考えですか。
 抗がん剤の副作用や精神的な苦しみなど、患者の「トータルペイン」に医療者が寄り添っているとは言えない現実があるからでしょう。がん医療は、患者に寄り添い、二人三脚で行うものです。抗がん剤治療は、医師が思う以上に副作用が出ることが多い。医師はそれでも医学的が見地から、「続けなければダメだ」と言う。その結果、医師と患者の間に溝ができ、「抗がん剤に殺された」と思う患者も出てくる。
 そこに「近藤誠」という、患者の代弁者が現れた。「がんもどき理論」や「がん放置療法」が評価されたのではなく、「患者の立場に立って、医師の悪口を言った」ことに意味があった。医師なのに、患者代表として言った。しかし、僕から言わせれば、これは医師の仕事ではない。
 「Amazon」のレビューを見ると、多くは、本に対する批評ではなく、自分や家族が受けた医療への不満です。あそこに書かれている膨大なレビューは、現代医療への恨み、つらみ、慟哭のようなもの。その受け皿にたまたま彼がなった。

――近藤先生は、苦しく、不満や不安を持っている患者の声を受け止める役割となった。
 迷える患者にとっては「教祖」のような存在、と言ってもいい。それに対し、批判を言うような僕は、返り血を浴びる。ネットなどで徹底的に攻撃される。「教祖」に仕立てた張本人は、文藝春秋でしょう。スポンサーが「菊池寛」賞など、お墨付きまで与えている。
――その文藝春秋が、『週刊文春』に、長尾先生の反論を掲載した。
 はい。『週刊文春』の11月14日号に、僕の取材をまとめた記事が載っています。先々週も1日講演を取材し、また先週も取材に来て、やっと理解してくれるようになった(編集部注:インタビューは2013年11月7日に実施)。「僕たちは、間違ったことをやってきたのではなかいか」と、ようやく気付き始めたのかなと思った。
 『週刊文春』記事のタイトルの候補として、編集者が当初考えたタイトルは、『近藤誠は人殺し』のような過激なもの。正直、自分たちが持ち上げた医師を、人殺し呼ばわりするのか、と驚きましたが。
 けれども、それはやめてもらった。校了直前になって、『近藤誠先生、あなたの“犠牲者”が出ています』が提示され、「もう変えられない」と観念。“犠牲者”という言葉は使いたくなかったけれど、出版社側が「どうしても」と押し切り、そのまま掲載されたというのがいきさつです。
――改めてお聞きしますが、『「医療否定本」に殺されないための48の真実』で一番、主張されたかったことは。
 本を上梓したのは、近藤先生に何かを言いたかったわけではなく、患者さんにもっと賢くなってほしいという思いからです。僕が最近出版した本の印税は、全て東日本大震災被災地支援に充てています。僕は医師ですから、本で儲けるつもりはありません。本を出すのは、虚栄心か、功名心か、目立ちたいのか、などといろいろ叩かれますが、それは違います。「賢い患者」になってもらうため、正しい情報を患者さんに伝えしたいだけです。医療の基本はインフォームド・コンセント下での患者の自己決定と医師との信頼関係であり、誤った情報に基づいて判断したのではダメだと言うことを啓発しているのです。
――長尾先生には、本の上梓以降、近藤先生との対談のオファーも各社から来ているとお聞きしています。
 はい。けれども、全部断っています。単独インタビューだけはお引き受けしました。原発に賛成か反対か、TPPや混合診療に反対かどうかについては、議論ができる。しかし、「がんもどき理論」「がん放置療法」は、極論の妄想とも言え、論理的に反論するのは難しい。それは神崎先生も言っていますが、論理が破たんしているからです。
――医学的な議論だったら、同じ土俵に立ち議論できますが、そうではない。
 一般の人の中には、「がん放置療法」は世紀の大発見だと本気で思っている方もいる。天道説が地動説に変わるような、大発見だと。しかし、真実はそうではない。
 ただ、終末期の延命治療については今、大きな転換期にあります。僕は、平穏死を唱えていて、2012年夏には『「平穏死」10の条件』を上梓していますが、一般向けの講演会には呼ばれても、医療界からはなかなか声がかからなかった。僕を呼ぶかどうかが、医療界では“踏み絵”になっている。石飛幸三先生や中村仁一先生など、僕と同じような主張をされている先生方も、事情は同じだとお聞きします。
――昨年、インタビューをさせていただいた時、同様のことを言われていました(『「延命治療大国、日本」へのアンチテーゼ』を参照)。
 病院の職員が講演会を企画しても、幹部が中止したこともあった。開催する場合でも、場所は病院外だったこともあります。先日もある病院が講演会を企画したところ、理事長が怒ったらしく、結局は地元の医師会館でやったのですが、300人も参加者が来た。その理事長も聞きに来ていたのですが、「なんだ、そんな話だったら、院内でやればよかった」と。聞いてもらえば、理解してもらえる。最近はやや変わってきており、大学などからも講演を依頼されるようになりました。
 それでもまだ多くの人は、平穏死を信じていない状況にあり、医師や看護師の多くは、平穏死を一生知らずに、仕事を終えるのでしょう。石飛先生や中村先生も、平穏死を言い出すまで長年かかったと言っています。いくつかの大学病院の先生に、「平穏死はできますか」と聞いたことがあるのです。そしたら、「うちはできません。大学病院では、最期の最期に、延命治療をやらないことは考えられません」と。僕と、近藤先生は終末期医療に関しては同じだと考えている人も多いようです。
――それはなぜでしょうか。
 「医療は不要」という点で、同類だと思われるのでしょう。しかし、僕が唱える「平穏死」は、医療を否定しているわけではなく、終末期に不要な医療はしなくていい、緩和医療は必要という主張です。命を助けられる医療はもちろん否定なんてしない。医療はものすごく発達している。発達しすぎて、時にやりすぎることもある。しかし、歴史的に見ても医療自体は可能性に溢れるのに、全否定しても、患者さんの幸せにはつながりません。
――先生は「平穏死」を押しつけているわけではない。
 もちろんです。平穏死したい人の意思を尊重したいだけ。終末期医療のことと、助けるための治療を分けて考えている。しかも、抗がん剤治療は、パラダイムシフトの前夜にあります。分子標的薬が進歩し、FAS(脂肪酸合成酵素)阻害薬やがん幹細胞療法などの研究も進んでいます。抗がん剤の副作用が大幅に軽減され、効果が高い薬が出る前夜なのです。もちろん、これを奏功させるための遺伝子検査が可能な時代になった。ただ、どこまで保険で認めるか、という問題もあり、TPPや混合診療の問題とも絡んできます。
 既にヒトの全遺伝子が簡単に調べられるようになっている。家族ががんになったら、遺伝子を調べる。乳がんの予防的切除に代表されるように、予防医療も広がってきています。

――「医療否定本」は、医学の進歩の否定につながり、患者は恩恵を受けられなくなる。
 そうです。遺伝子検査による、オーダーメイド抗がん剤治療。乳癌の分子標的薬トラスツズマブは、「HER2陽性の乳癌」の治療です。臓器別ではなく、遺伝子別の抗がん治療が行われるようになっています。がんだけでなく、アルツハイマー病など多くの病気の原因遺伝子が簡単に分かる時代です。
 各種疾患の発症が予測できるようになりつつある今、、遺伝子カウンセリングに対応できるのか、という問題も生じてくる。こうした情報が、がん登録や各種疾患データベースに登録されていく。単に遺伝子検査を行うだけでなく、情報をどう管理し、いかに利用するかに関する議論が必要な時代なのです。しかし、医療自体をを否定していたのでは、こうした医学の進歩に伴い生じる諸問題を解決していくのも極めて難しくなります。
 こうした問題は避けては通れない。なぜなら、米国では遺伝子検査がかなり普及してきているからです。医療機関を介さずに、一般の方がダイレクトに民間の検査会社に申し込んで、実施できる。保険会社による管理医療や、優生思想に結び付く可能性も十分ある。
――生殖補助医療が代表例ですが、医学が進歩すれば、倫理的な問題が生じ得る。
 個々人のがんの遺伝子に応じた、抗がん剤を選択できるようになり、「一か八か」、あるいは「宝くじ」的な時代から、オーダーメイドの医療ができるようになっているわけです。遺伝子医療時代の功罪を踏まえ、議論していくことこそが問題の本質なのです。
――医療者だけでなく、患者さんも交えて、こうした新しい課題にどう対応していくべきかを考える必要がある。それなのに、「医療を全否定」されると、思考停止に陥ってしまう。
 その通りです。
――『「医療否定本」に殺されないための48の真実』を上梓されて約3カ月ですが、反響がいかがでしょうか。
 知り合いからは、「良く書いてくれたな」などと、時々言われますが、医師には僕の本はほとんど読まれていないですから、反応は少ないですね。またがんセンターの先生方が無反応なので、正直、がっかりしています。まあ、どうでもいいのでしょうね。
 週刊誌の記者たちも、本のタイトルだけ見て、僕のところに来る。本の内容は読んでいない。それで、「(近藤先生の主張は)何が間違っているのか」と聞く。理解してもらいたいという気持ちはあるので、記者たちには何回も何回も説明していますが。僕が書いていることを本当に知りたいのであれば、僕の最近の本をぜひ何冊か読んでいただきたい。
――メディアや患者さんに正しい情報を伝えるためには、医療者がいろいろなところで主張していく以外にない。
 近藤先生は、故中村勘三郎氏の医療も批判しています。彼は食道がんでしたが、手術や抗がん剤治療は成功した。けれども、その後、肺炎になり、それが悪化し、死亡している。食道がんへの抗がん剤と手術は、彼の免疫能を低下させ間接的には影響を及ぼしたのかもしれませんが、直接の死因は違う。誤嚥性肺炎で亡くなっています。では、同じ食道がんで、食道切除をした桑田佳祐氏はどうなのか。彼は、コンサートをやるまで復活している。
 医療は不確実。手術は成功したけれど、術後、MRSAで死亡することもある。それを手術しなければよかった、というのは、「後出しジャンケン」。がんもどき理論から、がん放置療法という仮説には、論理の飛躍が多すぎる。
 患者さんに正しい情報を繰り返し伝え、「近藤理論」には断固として反対しなければいけませんが、同時に「近藤誠現象」に対しては、素直に受け止めて、検証しなければいけない、というが私の意見です。
 僕は、「近藤誠現象から見えるもの、学ぶべきもの」に興味があるのです。彼の本は、がんで家族を失った家族の心情を救った。現代医療への批判であり、それらは謙虚に受け止めないと、より良い医療を築いていくことはできません。繰り返しになりますが、Amazonに書かれている近藤先生の本の読者のレビュー、患者の慟哭、現代医療への大きなクレームを、がん医療に携われる方はぜひ一読すべきでしょう。
 一方で、『医者に殺されないための47の真実』は、ミリオンセラーになりましたが、多くの患者さんは抗がん剤治療を続けている。この現状をどう考えるのかも問いたい。
 僕自身は、町医者であり、予防と早期発見、そして終末期医療が本業。『「医療否定本」に殺されないための48の真実』には、データはあえて入れていません。僕自身、エビデンスを作る側でもない。1995年に開業して以来、在宅で看取った患者さんは700人以上に上り、臨床経験では負けないという自負があります。臨床経験に基づいた正しい情報を患者さんに伝える取り組みを続けていきます。
 今回の週刊誌報道は、まだ発端と感じた。「近藤誠理論」の間違った部分はちゃんと否定しなければいけない。しかし、本屋の店頭にはあまりにも「医療否定本」が多い。それに対して正しい情報を提供するのが私の勤め。今はその第一段階の作業をしているわけです。今後も、難しいことを、やさしく分かりやすく、伝えていきたい。
 また、この9月には、これまでの思い、今の全精力を込めて、『抗がん剤10の「やめどき」〜あなたの治療、延命ですか?縮命ですか?』(ブックマン社)を上梓しています。本業である終末期医療の一環で、抗がん剤治療の在り方なども一緒に考えてほしいと願います。

引用以上。